【布施・供養】

ある経典には、仏や道の人に布施・供養することは功徳を積むことになると説かれている。 しかしながら実際には布施・供養が功徳に結びつくとは単純には言えないことである。 何となれば私自身、少なくとも覚り以前において生き身の仏に布施・供養したことなど無かったからである。 そして、布施・供養などしなかったけれども私は覚ることができた。 それゆえに、布施・供養によって覚りにまつわる直接の利益(りやく)を生じると考えるのはおそらく正しくない。

それでも押して仏に布施・供養しようとするならば、その場合には少なくとも次の条件を満たさなければならない。

1: 原則として直接手渡しの布施・供養であること(面識が無ければ如来は布施・供養を受けることができない)

2: 如来が詩(=偈)を唱えてその結果として布施・供養を受けるのではないこと

3: その布施・供養に関して、布施・供養者の家族・親族などから誰一人として反対者が出ていないこと

4: その布施・供養が布施・供養者自身の生活をわずかでも圧迫するものでは無いこと

5: 布施・供養物が身内を含めて誰かから盗んだものでは無いこと

6: 布施・供養が慣習性(つまりくり返しくり返し)のものでは無いこと

7: 世間的にも常識の範囲の布施・供養であること


[補足説明]

布施と供養とは少し意味が違うものである。 布施は福徳の因となり、供養が功徳のよすがとなるからである。 この点については 【理法099】:供養と功徳を参照されたい。