【菩薩ではない者を菩薩であると見なす愚者】

菩薩ではない者の言動や振る舞いを見て、かれを菩薩であると見なす者は菩薩ではない。 それは、悪人を紳士であると見なすよりも愚かなことである。

愚かな者は、毒を薬のように思い為す。 しかし、毒はその愚か者さえも損なう。 怖いもの知らずの愚か者だからと言って、毒は決して容赦はしない。 愚かであるということが、毒が和らぐ理由にはならないからである。 しかし、そのようでありながら、愚かな者はその毒を宝物のように後生大事にして離そうとはしない。

愚かな者は、塗り薬を舐めるようなことをする。 しかし、それでは良薬も役には立たない。 医者は、塗り薬の使い方を丁寧に処方箋に書き、また分かりやすく説明しているのであるが、愚かな者は処方箋を読まず、医者の説明も聞かず、ただ自分勝手なやり方にこだわるのである。 そして、そのようでありながら、愚かな者はこの塗り薬は苦いだけで少しも効き目がないと嘯くのである。

誰も、その愚か者を救うことはできない。 しかしながら、誰もその愚か者を笑うことはできない。 なんとなれば、賢愚にかかわらず人は自ら自分自身を解脱せしめるしかないのであり、解脱しない間は賢愚に優劣はないからである。

こころある人は、菩薩でないものを菩薩であると見なす愚をおかしてはならない。 それは、誰の利益(りやく)にもならないからである。 ただ明知によって菩薩の振る舞いを見極めて、他ならぬ自らが菩薩となれ。 けだし、この世では菩薩だけが仏になれるからである。