【音声に誘われる人】

釈尊の原始経典(ウダーナヴァルガ 第二二章 学問)には、音声に誘われることについて次の記述が見られる。

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色かたちによって、わたしを測り、また音声によって、わたしを尋ねもとめた人々は、貪欲や情欲に支配されているのであって、(実は)わたくしのことを知らない。 けだし、次のとおりであるからである。

内を知らないが、外をはっきりと見て、外のほうの結果ばかりを見ている人は、実に音声に誘われる。

内を明らかに見ているが、外を見ないで、内のほうの結果ばかりを見ている人は、実に音声に誘われる。

内を知らないが外をも見ないで、(内と外と)両者について結果を見ない人は、実に音声に誘われる。

内をも明らかに知り、外をもはっきりと見て、よりどころにとらわれないで明らかに知る人は、実に音声に誘われることがない。

{人々は、}耳で雑多なことを聞き、眼で雑多なことを見る。 {それゆえに、}思慮ある人は、見たこと、聞いたことをすべて{そのままに}信じてはならない。

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注記) 上記文章は、当ホームページの制作者(SRKWブッダ)が一部追記・拡充している。