【すべての人は覚るべきである】

すべての人は、解脱して覚るべきである。 それは一切の苦悩の終滅であり、そこに至れば憂いがないからである。

すべての人は、解脱して覚るべきである。 心から望むならば、誰もが覚れるということは間違いないことであるからである。

ただ、覚りは漫然としていて訪れるものではない。 その一方で、覚りはがむしゃらなことによってもたらされるものでもない。 覚りは、因縁によってもたらされるものであるからである。

それは、たとえば知恵の輪が漫然としていては解けることがなく、かと言ってがむしゃらに取り組んではそれが解けたときに味わう筈の感動を損なうようなものである。 正しく知恵の輪に取り組む人が、知恵の輪を解き、確かな感動を味わうのである。

人は、真実を知ろうと熱望することによってついに解脱する。 人は、覚ったときに〈特殊な感動〉を生じ、三種の明知を体得する。 そうして、人は人間を超えた存在(=仏)となる。

すべての人は、解脱して覚り、仏となるべきである。 そうでなければ、人生は空しいからである。