【アドバイス】

私は、時として覚りに至る道についてのアドバイスを求められることがある。 具体的には、こんな具合である。

『{事情説明} ...でいいのでしょうか。 ...でいいような気もします。 ...であれば問題ない気もします。 ... ブッダはどう思いますか。 何かご助言もらえたらと思います。』

しかしながら、もろもろの如来は人々に覚りに至る道について個別にアドバイスすることはできない。 ただ、如来はこころからの問いに答えるだけである。 如来はただ理法について語るだけである。 如来はただ感興のことばを発するだけである。 如来はただ真理を体現するだけである。

人の覚りは最初から最後まで各自のことがらである。 自ら道を見い出し、自らの歩みによって到達しなければならない。

なお、この件については次の理法を参照されるとよいであろう。

 → 誰がために理法は説かれるのであるか

 → 如来に問うことと互いに語らうこと

 → 道中の不安

 → 正しい道

 → 修行  ;  → いかなる修行によって