【しあわせの形】
人は皆、しあわせを求めている。 しかし、人はしあわせの形を知らない。 そして、しあわせに至る道を知らないでいるのである。
しあわせとは何か? それは、次のことを言う。
『そのひとは過去のことを後悔して思い煩うことが無く、現在について一切の悲苦憂悩を滅し、未来についても不吉なことが無い。 それゆえに、かれは<しあわせなひと>だと知られ称されるのである。』
これを平安とも呼ぶ。
では、どうすればこの平安に至ることができるのか? その答えは、釈尊の次の言葉に簡潔にまとめられている。
○ 傍らに立って、〈神の子〉であるブラフマンは、尊師に対して、詩を以て話しかけた。 「この心は、常にあわてふためいている。 この心
は、常におびえている。 ──未だ起こらない未来の事柄についても、またすでに起こった事柄についても、もしもおびえないでおられるのなら、──お尋ねい
たします。 ──それを私に説いてください」と。 〔尊師いわく、──〕 「さとりに至る実践のほかに、感官を修養することのほかに、一切を捨て去るこ
とのほかに、生ける者どもの平安を、われは認めない。」 かれ(ブラフマン)は、その場で姿を消した。(サンユッタ・ニカーヤ2)