【各自のことがら】

たとえば知恵の輪に能く取り組む人は、他の人の「解けた」と言う声を聞いてこの知恵の輪は間違いなく解けるものなのであると知りその声を励みとする。

しかしながら、もし他の人の「解けた」と言う声を聞いて、この知恵の輪が未だ解けない自分は恥じるべき存在であると思って意気消沈する者がいたならば、かれは知恵の輪を解く以前に何か心に問題があると言わざるを得ないであろう。

それと同じく、

 『人は覚ることができる』

というもろもろの如来の声を聞いたとき、それを励みにする人と恥じ入る者とがあっても、それはそれを聞いたそれぞれの人々の各自のことがらなのである。 そして、もろもろの如来の声を聞いてそれを励みとする人だけが自ら機縁を生じて覚りの境地に至るのである。