【不生なるものの本質】

『世に出現した不生なるものを知り、その真実の意味を覚知する人があるならば、かれの一切の苦悩は終滅する』

これが覚りの真相である。 ところで、この不生なるものの本質とは何であるか? それは、ことに臨んだ局面における一なる答えのことなのである。

その答えは、時と場所と相手とを選ばないものであり、ことに臨んだその局面における唯一の完全な答えである。 その答えは、誰であってもその局面に臨んだならばその一なる答えに到達すると確信されるものである。 その答えは、遠い未来においてもその答えの唯一性が決して損なわれることがないものである。 その答えは、人智を超えたものであると知られるものである。 それゆえに、その一なる答えはこの不生なるものの本質であると知られることになるのである。

この世のことがらは、総じて作られたもの(=生じたもの)である。 しかしながら、そうでありながら時として作られざるもの(無為)が出現する。 人がその作られざるものを眼のあたりにして、それがまさしく不生なるものであると識ったならば、かれは智慧を覚知したのである。

ことに臨んだその局面は、観(=止観)において想起し得るものである。 それを為し遂げたとき、かれ(彼女)は観の完成者となる。 しかしながら、ことに臨んだその局面は、観(=止観)に頼らずとも現世においてまさしく出現するものである。 その出現を人為的に呼び起こすことはできないが、こころある人の極近くにそれは出現するものである。

それゆえに、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)を求める人はよく気をつけて遍歴せよ。 この不生なるものの真相を見てまごうことなき覚りに到達せよ。