【雪山童子の境地】

すぐれた教えを半分だけ聞いて、それが下らないものであると見なし断じるならば、教えを得ることはできない。

すぐれた教えを半分だけ聞いて、残りの半分をも知りたいと思う人は、完全な教えを得る。

すぐれた教えをすべて聞いたのに、それが下らないものであると見なし断じるならば、やすらぎを得ることはできない。

すぐれた教えをすべて聞いて、教えを実践する人は、円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)を体得する。

教えを半分だけ聞いて、それがすぐれた教えであると知り、その教えの全体を知りたいと思う人は〈雪山童子〉と同じ境地に達している。

ジャータカ(前世物語)はその一つの縁起を説く。 ある人々は、そのようにして解脱するからである。