【言葉と文字・説とことば】

それを発した人が誰であろうと、他の人の口から語られた言葉を「説」として聞き、あるいはまた他の人の手によって綴られた文字を「説」として読みとるならば、それではその人が解脱することは遠いこととなる。 その一方で、それを発した人が誰であろうと、他の人の口から語られた言葉を「ことば」として聞き、あるいはまた他の人の手によって綴られた文字を「ことば」として読みとるならば、その人はついにはその言葉や文字によって解脱して覚りの境地に至るであろう。

「ことば」は、人を正しい道にいざなうものである。 「ことば」は、人に真実を知らしめるものである。 そして「ことば」は、人をやすらぎへと導き至らしめるものである。 その一方で、「説」は、人の道を迷わしめるものである。 また「説」は、人を惑わすものである。 そして「説」は、人のやすらぎを損なうものである。

言葉や文字によって煩うことのない人こそが賢者である。 言葉や文字によって人を損なうことのない人こそが強者である。 そして、言葉や文字によって自他をやすらぐ人こそが知者(=道の人)である。

こころある人は、言葉や文字を争いの道具と化せず、言葉や文字に惑わされることなく、言葉や文字を縁として正しい道を見いだしてさとり、覚り終わって、この円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至れかし。