【苦の覚知】

苦を見いだした人は、必ず苦の根絶を見い出す。 苦の根絶を見い出していない人は、未だ苦を覚知していない。 苦を覚知していない人が、そのままにおいて解脱することはあり得ないことである。

今まさしく苦を感受している人が、そのことによって苦(の真実)を覚知するとは断定的には言えない。 むしろ、それは難しいことである。 なんとなれば、苦の感受と苦の覚知とは別のものであるからである。 たとえば、錯覚に陥った人が、まさしく錯覚に陥っていながら、しかしそれだからと言ってその錯覚を覚知することができるとは言えないようなものである。 むしろ、錯覚に陥った人がその錯覚を覚知することは難しいことである。

人と世の真実を知ろうと熱望する人が、ついに苦の覚知を為し遂げる。 苦の覚知は、人と世の真実を覚知することに他ならないからである。 自らの行為について省察し、以て人と世の真実を明らめる人がついに苦の覚知を為し遂げる。 苦の覚知は、行為の省察の究極点に見いだされるものであるからである。

苦の覚知は、解脱(=覚り)そのものである。 やすらぎを求める人は、苦の真実から目をそらしてはならない。