【正しい解釈】

正しい解釈は、正しい理解のもといである。 正しい理解は、正しい行為の動機となる。 正しい動機は、正しい道を歩む(かれにとっての)よすがである。 人は、そのようにして自ら見い出した道を歩んでこそ、究極に到達する。 究極に到達したならば、その歩んだ道が正しかったのであると認められる。

かれ(彼女)の正しい道の歩みは、自分ならざる何かに依拠したものではなく、まさしく自らに依拠して見いだされたものである。 それゆえに、その正しい道の歩みを、いかなる者も誤らせることはできない。 そして、人は、まさしくそのようにして円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと到達するのである。

誰が口にしたかはさておき、よく語られた真理の言葉を耳にして、それをこころに留めるならばそれはこの道の歩みの確かな糧となる。 それは、かれの根本の疑惑と憂いとを打ち砕くもとのものとなるからである。 耳聡き人にこそ、大いなる利益(りやく)はもたらされる。 聡明な人は、ことわりを聞いて自らの道を浄め、他ならぬ自らによって自らを究極に至らしめよ。