【心を安んじる言葉】

もし人が、心安まる言葉を聞いたならば、それは本当にすぐれたことである。 なんとなれば、それはその言葉を聞いた人の正しい心構えが、自分自身を安んじたのであると認められるからである。 かれは、発せられた言葉の本当の意味・内容には関わりなく、それを心を安んじる言葉として聞いたのである。 そのような人は、世間の何に触れても心を汚されることが決してないであろう。

その一方で、耳に心地よいものであろうと、耳に障るものであろうと、どんなものであろうと、他の人の言葉を聞いて心に動揺を来したならば、かれは実に不しあわせな人である。 たとい、かれが奔放な生き方をしていて、勝手気ままに振る舞っているとしても、ふと折に触れ心ざわめくことがあるならば、かれ自身何と弁解しようともその心構えに正しからざるものがあると認めざるを得ないからである。 かれは、自分でも知らずに多くの塵をまき散らしており、そのことにまつわって起こる種々の煩悶から脱れることができない。 すなわち、かれは誰あろう自らによって自分自身の道を汚しているのである。

それゆえに、安らぎを求める人は、世間の何を見聞きしようとも見聞きしたことがらにこだわってはならない。 好ましいことがらも、好ましからざることがらも心に結びつけることなく、心の静寂を護れかし。 見聞きしたことの利益(りやく)だけを我がものとして、他の人々をわずかでさえも損なってはならない。 けだし、人を安らぎに導く甘露の実(=ニルヴァーナ)は、つねにそのようにしてもたらされるのであるからである。