【よすが】

いかなる先入観にもとらわれない人が、道を歩んでいるのである。 かれはそれゆえに、たとえば三昧(サマディ)とか涅槃(ニルヴァーナ)とかの言葉を耳にし、それらにまつわる現象を目にしても、それらの言葉や観念、現象に心を奪われず、ものを欲しがるようにそれらを望んだりしない。

かれの柔軟な思考は、心の顛倒(心理的・精神的錯覚)に打ち勝ち、三昧(サマディ)や涅槃(ニルヴァーナ)の真実を(こころに)理解する。

かれは、違う道を歩む人々と遭遇しても、同じ道を歩む人と出会っても、それぞれの人々の考えに安易に同調せず、それにもまして自分の考えを押しつけたりしない。 ただ、かれの明知が、縁ある人々に贈与を超えた贈り物を為し、またいかなる贈り物よりもすぐれているその言葉(=法の句)を得るよすがとなる。

こころある人は、言葉によって生じる迷妄と、想いによって現れる妄執とを自らの明知によって超克して、人と世の真実を見極めよ。 それによって、すべての重荷を下ろすことを得るのである。