【実り】

如来が説いた理法の言葉を聞いても、それを実行しないならば実りがない。 何かを実行しても、その行為があやしげで、心構え正しからざれば、それは思いもよらぬ苦い実を結ぶことになる。

邪な心は、覚りのよすがを掘り崩すものであり、やすらぎに至る智慧の門を自ら閉ざす愚行となるものである。 邪な心を抱く者は、実に望まざる流転の中にあって、世の全貌(=自分自身の真実のありさま)を知らずにいる。 苦い実も、最初の方だけは甘いので、愚者は脱れることが難しい。

人が、浄らかになるのもならないのも、すべては各自のことがらである。 けだし、人は自らによって自分自身を浄めるのであるからである。 誰であっても(たとえ如来であっても)、他の人を浄めることはできない。

それゆえに、聡明な人は、よく精励し、以て自らの心を矯めて、自分自身によって自らを不滅のやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと導き至らしめよ。 甘露の実りたるこのやすらぎは、そのようにしてもたらされるのであるからである。