【仁徳】

 『真実は、一つであって第二のものは存在しない。 その真理を知った人は争うことがない。 争いを制した人は、その真理を知ったのである。 これこそが、真実の真相である。』

ここなる人が、(自分を含めて)いかなる人をも傷つけず、憂いを去って、悲しみを超克し、怒りを静め導き、自分自身が自分自身に打ち勝って、自己を制したのであるならば、かれこそ勝者である。 そして、一切に打ち勝った勝者は、<仁徳のある人>とも称される。

しかしながら、(何か固定的な)仁徳が、かれに徳行を為さしめるのでは無い。 徳行についてそれがそうだと知っていようが、それがそうだと知らずにいようが、よく徳行を為す人がいたならば、かれこそ徳豊かな人である。 そして、かれ自ら為した徳行が、かれ自身を安らぎへと導くことになる。

ところで、世には、4つの徳があると知る人は語る。 誠実であること、自制すること、慳みしないこと(乏しき中からこそ分かち与えること)、堪え忍ぶこと、がそれである。 賢者は、その福徳と功徳とをこころに知って、ことに臨んでもおじけない。

たとえその人が目覚めた人(=ブッダ)であろうと、人が(自分ではない)他の人を慕い、他の人を敬い、他の人の仁徳を頼っても、そのことによってかれ自身の問題が解決されることはない。 人は、自分自身が徳豊かな人になってこそ問題が解決されるのであるからである。 それを為し遂げた人は、他人をも自己をも損ねることがない。 かれ(彼女)は、すでに為すべきことを為し遂げた偉人であり、<大徳>とも<仙人>とも称される。

こころある人は、自ら為したことと、為さなかったこととを見定めて、人としてのあり得べき省察を為し、自らによって自らを矯め、悪をとどめて、以て道の歩みを浄めかし。 聡明な人は、世人を悩ませ迷わせる根本の疑惑と不信とを振り払って、徳行に篤く精励し、為し難き修行(の修養)を為し遂げよ。 それこそが、人を不滅のやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと運んでくれる大いなる乗物に他ならないからである。