【省みることによって】

心構え正しく、直ぐなる心を有する人が、ことに臨んで言葉を発するとき、かれは一切の邪念を払いのけている。 かれは、よく気をつけていて、しかも悪を離れているからである。

聡明であって、真実を知ろうと熱望し、よく気をつけて世間を遍歴する人は、ことに臨んだそのときに、世に稀有に出現するその言葉(=法の句)を聞き及ぶ。 なんとなれば、かれは聞く耳をもつ、直ぐなる心の持ち主であるからである。

直ぐなる心は、よく気をつけている人にこそ宿る。 よく気をつけている人には、直ぐなる心が見いだされ得る。

ところで、人が世間のさまざまなことがらに触れて、それをいかように熟考しようとも、それによって心を矯めることができるとは断定的には言えない。 また人が、自分にとって実に好ましい行為を為し、想いは満たされ、望んだ以上の望ましい実りを得たとしても、それはよく気をつけていることと必ずしも軌を一にしない。 気をつけていない人の行為は、途中の実りはともかく、結局は苦に帰着してしまうからである。

しかしながら、ここなる人が、自ら為したことと為さなかったこととをよく省みて、行為の帰趨を見極め、その行為を為したまさにそのとき自分が何者であったかについて真摯に考究するならば、かれは直ぐなる心を有する人であり、よく気をつけている人だと認められる。 かれは、かれ自身そうだと認知することこそないであろうが、よく心を矯め、まさしく気をつけて日々を過ごしているのである。 それゆえに、かれの為すところのものは、苦からの出離をいざない、苦のもとのものからの離貪をもたらし、ついにかれ自身を円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと導くことになる。

柔和さは、頑なさにまさる。 温和な人は、どんな粗暴な人をも安らぐ。 賢明さは、いかなる愚かさも責めあぐねない。 明知の人は、(自分だけでなく)周りの人々にもひとしく灯火をかざす。 直ぐなる心は、ひねくれた心を正す薬となる。 そして、よく気をつけていることは、自分をも他人をも人生の難所から救い出す最上の妙薬なのである。

もし人が、これらすぐれたものを我がものとすることを欲するならば、省みるべきである。 実に、人は省みることによって、まさしくそれらを我がものとするのであるからである。