【正直な感想】

それが当たっているかどうかはさておき、正直に感想を述べることはつねに称讃さるべきことであると言ってよいのである。 けだし、正直さは直ぐなる心の発露に他ならないからである。

人は、直ぐなる心によって道を見いだし、ついに円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)へと至る。 それゆえに、直ぐなる心は称讃されるのである。

ことわり知るこころある人は、正直な言動を耳にしたならば、それがどのような人から発せられたものであるとしても、その言葉をよく恕(じょ)して、自らの省察の糧とすべきである。

それをまさしく耳にしたことは、実にめぐまれたことであるからである。


[補足説明]
維摩経では、直き心について次のように述べています。

● ── 直き心はすなわち菩薩の浄土である。 菩薩が仏になったときに、へつらわない衆生がやって来てその国に生まれるであろう。 (中略) このように菩薩はその直き心をおこしたのに随って、その行いをおこし、その行いをおこしたのに随って深い願いをおこし、その深い願いをおこしたのに随って意(こころ)をととのえ、意(こころ)をととのえたのに随って説かれたとおりに行い、説かれたとおりに行ずるのに随って功徳を廻向し、その廻向するのに随って方便あり、その方便がおこるのに随って衆生を完成し、衆生を完成するのに随って、その仏国土が浄らかになる。 その仏国土が浄らかになるのに随って、説法が浄らかになる。 その説法が浄らかになるのに随って、その智慧が浄らかになる。 その智慧が浄らかになるのに随ってその心が浄らかになる。 その心が浄らかになるのに随って一切の功徳が浄らかになる。 この故にもしも菩薩が浄土を得ようと欲したならば、その心を浄くすべきである。 その心が浄くなるのに随って、その仏国土が浄らかになる。 ──