【堅固なる道】

ここなる人が、世間の喜怒哀楽を超えて知られるべき究極の楽しみ(=ニルヴァーナ)の存在と、そこに至る確かな道の実在とをこころに知ったのであるならば、かれは迷うことなくその(正しい)道を歩み行き、解脱して、不滅のやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至ることであろう。 それゆえに、こころある人は、決して立ち止まることなく自ら信じるその道を歩み続けて、人としてのあり得べき人生の究極をまさしく体現すべきである。 そして、それは決して遠いところにあるのではないと知られるからである。

迷える人は、闇雲に進まざるを得ない。 しかしながら、闇雲に進むことよりも手探りで進むことの方がまだすぐれている。 そして、手探りで進むことよりも、憂い無く、晴れやかな心を以て足下に見い出した堅固なる道を歩むことの方がさらにすぐれているのである。

それゆえに、覚りに至る道を知ろうと熱望する人は、道を上手に見いだそうなどと考えて心の安定統一を損なってはならない。 なんとなれば、心が真っ直ぐな健き人は、つねに気をしっかりと保ち、何を見聞きしても心の安定統一を損なうことなくよく気をつけているものであるからである。

聡明な、こころある人は、自分ならざる何ものにも依拠することなく、ただ自らに依拠して、自ら見いだした堅固なる道を誰に頼ることなくしっかりと歩み行き、人生の大いなる目的を達成せよ。 たとえ、その道の途中でまごうことなき如来の言説を聞くことがあっても、それにさえこだわって立ち止まってはならない。 自ら見い出した堅固なる道の歩みを、たゆまずにおるべきである。

やすらぎに至る堅固なる道を求める人は、道の真実についてこのように理解すべきであり、このように理解しなければならない。