【偽経】

この世には、真実に法(ダルマ)を伝える経典がある。 その一方で、<偽経>と称すべき典籍があるのも事実である。

しかしながら、人は経典そのものによって覚りの境地に至る訳ではなく、また偽経によって覚りの境地に至ることが阻まれる訳でもない。 けだし、人が人と世の真実をさとって覚りの境地に至るのは、ただかれの正しい心構えと真実を知ろうとする熱望によっているのであると知られるからである。

心構え正しき人は、真実の経典を読めばそれを真実の経典であると理解し、偽経を読めばそれが偽経であるとこころに識ってそれについてのこだわりを離れることができる。 それゆえに、かれは結局は正しい道を歩むことになるのである。 その一方で、心構え正しからざる人は偽経や異教に誘われる。

こころある人は、正しい道のありようがつねにこの通りであると知って、自分ならざる何ものにも依拠することなく、よく気をつけて遍歴せよ。 世に飛び交う何にふれてもそれにこころを汚されてはならない。 しかし、だからと言ってそれらを無視してもいけない。 つねに歩み進むべきその道を自ら見出し、自らが自らの心を矯めて直ぐなる心を生じ、人と世を平らかに見てその真実を見極めよ。

心構え正しき人は、はからずも真実の経典に巡り会うことを得て、経典の真意を理解することができるであろう。 直ぐなる心の持ち主は、決して経典に転じられることなく経典を転じ、覚りに至る修行を為し遂げて、ついに円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)に至るのは間違いないことである。

聡明な人は、偽経にまつわるあらゆるこだわりを捨て去って、偽経の中においてさえ真理の言葉を見いだす人であれ。