【高貴の人】

これこそが「修行」であると世間において広く狭く知られ称されるもの、あるいは自らこれが「修行」であると見なし自称するに至った何かのことについて、また「戒律」に関することについて、またそれら以外の何かのことについても、人が自分のことを他の人に向かって言いふらすならば、かれは下劣な人であると知られることになる。

また人が、自ら為した過去の行為について、または現在に為し、あるいは未来において為そうと考えている何かの行為およびその行為の動機の事由について、聞かれもしないのに自分から他の人に向かって語り、知ってか知らずか結果的に何かを言いふらし、(自分自身を含めて)人をけしかけることになるならば、かれもまた下劣な人であると知られることになる。

さらに人が、自ら信じ固執する何かにかまけて聞く耳を持たず、ものごとを直視せず、頑迷であって、実際には道に迷っているのに迷いなど無いと言い張り、手探りどころか闇雲であり、やすらぎを希求しつつも他の人の平安を妨げ、人は皆自由であるべきことを口にしてもその実は他の人の自由を奪い、言葉や態度によって他の人の自由を束縛し、あるいは人の気を引こうとして何かをてらい、思惑を生じ、たくらみを抱き、自ら為した行為の帰趨を見極めることなくその都度の結果に一喜一憂し、世間のことがらに触れることを好んで喜怒哀楽の相をそれぞれに顕すとともにその感覚的感受をつねに喜び、言行不一致であり、実体が無く、事実を解せず、しかも自分の正しさを曲げて主張し、<真実(=真理)>を聞いてもその真実を真実として理解することを得ず、混迷であり、賢明さを欠き、心の動揺を抑えることが出来ず、情欲に翻弄され、怒りを抑えきれず、慳みの癖があり、自らの過誤と過失とを認めず、力を頼んで自らの本心に依拠することを為し得ず、八方美人であり、しかも他の人々をこころから信頼せず、あらゆることに少なからぬ疑惑を残しつつもその解決の労を惜しみ、愚鈍であり、疑問を呈してもその本当の答を得ようと熱望することがなく、迷妄と妄執の渦中にあって自分を見失い、冷静さを欠き、他人の行為にのみ気を取られて自分の足下を見ず、善悪・真偽、正邪、多寡、優劣、深浅、段階の説にとらわれ、偏見をいだき、勝敗の帰結に執着して争いを好み、行動が支離滅裂であって、しかもそのようでありながら自分が何某かの立派な人間であると自己を妄想する人。 そしてそのようにして塵汚れを多く世間にまき散らす人。 かれこそ、<最下の下劣な人>なのである。

しかしながら、ここなる人が、それ以前のことはいざ知らず、ことに臨んで一切の下劣さを離れ、自ら抱く迷妄と妄執の根を断ち切り、自らに依拠することを得て、究極の「その答え」をついに見いだし、冷静さを究め、平静であって、心は安寧に帰し、濁り無く、少なくともそのことについてはすべてを識り明らめて、自己を正しく導き、たとえたった一つであるとしても悪を完全にとどめ、たとえ一瞬であるとしても崇高な境地に立つことを得たのであるならば、かれこそ世間にあって世間を超えた人、<高貴の人>であると知られるのである。

明知の人は、心構え正しく、聡明であって、高貴さをこころにたもつ高貴の人であれかし。