【忌むこと】

もし人が、世間において遭遇するさまざまなことに対して目を塞ぎ、耳を塞ぎ、同時に口をつむがないのであるならば、かれがそのままにおいて覚りの境地に至ることはついにない。 なぜならば、人は世間においてさまざまに遭遇する出来事の中の一大事を縁として覚りの境地に至るのであるからである。 すなわち、もし人が世間において遭遇するさまざまなことに対して目を塞ぎ、耳を塞ぎ、同時に口をつむがないのであるならば、そもそも一大事に遭遇することが無く、それゆえにかれが覚りの境地に至ることもあり得ないこととなるのである。

しかしながら、ある人が日常において遭遇するさまざまなことに対してつねに目を塞ぎ、耳を塞ぎ、同時に口をつむがないことを厭わずにいるゆえに、まさにそれゆえにそのようなかれが一大事に遭遇するに及んで、自ら目を塞がず、自ら耳を塞がず、同時に自ら口をつむんでいるという稀有の行為を為すのであると言えるのであり、日常および一大事のそれぞれの時に応じて自由自在に、しかも理法に適ってかくあるべく振る舞うのは、かれが明知の人であるゆえのことであると知られることになる。

それゆえに、覚りの境地に至ることを目指す人はこのことわりをこころに知って、世間において遭遇するさまざまなことに対してつねに目を塞ぎ、耳を塞ぎ、同時に口をつむがないことを厭わずにいるべきであり、しかも時として目を塞ぐべきではなく、耳を塞ぐべきでもなく、同時に口をつむいでいるべきだと言えるのである。

けだし、人は一切世間を忌むことによって、忌むべからざる真理に到達するのであると言え、それがつねにそうであることが法(ダルマ)に他ならないのである。


[補足説明]
『忌み言葉』の真実について考究することは、このことわりを知るのに役立つことでしょう。

[補足説明(2)]
出離、無瞋恚、無傷害についての省察は、このことわりにもとづいて起こるのだと知られます。