【できることとできないこと】

世には、できることとできないこととがある。

・ 人(=衆生)は、世間における他の人との関わりのなかにおいて、何をどのように計らおうとも自分自身を確実に喜ばせることはできないことである。

・ 人(=衆生)は、世間における他の人との関わりのなかにおいて、何をどのように計らおうとも、自分自身が絶対に怒らないでいることはできないことである。

・ 人(=衆生)は、世間における他の人との関わりのなかにおいて、何をどのように計らおうとも、自分自身の悲しみの情を完全に払拭することはできず、はたまた真実の楽しみを享受することもあり得ないことである。

・ 人(=衆生)は、世間における他の人との関わりのなかにおいて、何をどのように計らおうとも関係する他の人を確実に喜ばせることはできないことである。

・ 人(=衆生)は、世間における他の人との関わりのなかにおいて、何をどのように計らおうとも、関係する他の人を絶対に怒らせないことはできないことである。

・ 人(=衆生)は、世間における他の人との関わりのなかにおいて、何をどのように計らおうとも、関係する他の人の悲しみを取り除くことはできず、はたまた他の人を真実に楽しませることもあり得ないことである。

しかしながら、次のことはできることである。

・ 人は、たとえ世間における他の人との関わりのなかにおいてであっても、関係する他の人の心の根底にある悲しみのもとのものを払拭することはできるのである。

そして、人は、はからずもその行為を為し遂げたとき、まさにその行為をこそ行いたかったのであるとこころに理解して本性に目覚めるのである。 かれ(彼女)は、すでに世間を脱して、人々が(実は表面的に)感受するところの悲苦憂悩を超越した虚妄ならざる安穏の境地(=ニルヴァーナ)に住する自分自身を発見することになる。

こころある人は、できることをこそ為そうと願い、ついにそれを為し遂げよ。


[補足説明]
それができない間は、どうしてできないのだろうと思うものである。 しかしながら、それができるようになると、今度はいままでどうしてそれができなかったのだろうと思うのである。 それどころか、それができるようになると、それをわざとできないでいることさえできなくなっている自分自身を発見することになる。 大事なことは、できることをそれはできることであると信じることなのである。 そして、それを信じることについては如何なる根拠も理由もいらないのであるということを、先ずは信じなければならない。 なぜならば、そのことをこころの根底において疑っている人は、実はただの一人もいないことを、知る人は(如来は)知っているからである。