【聡明なる人】

聡明なる人は、未来に起こるであろうことがらについてあれこれと想念をめぐらせることがない。 また、かれは、すでに起こってしまったことについては、それが何であれ、それがそのように起こったことを善しとし、それがそのように起きなかったとしてもそれを善しとするのである。

聡明なる人は、かれがすでに為し終えた行為について他の人から非難や賞賛を受けても自分を卑下することが無く、慢心を起こすことも無い。 なんとなれば、かれにとって、自分自身は卑下とも慢心とも無縁の存在であるからである。 それゆえに、かれは如何なる状況に身を置いても、自らの存在意義について可とか不可とか分別して考えず、自分と誰かとをくらべることもない。 かれは、自分自身を完全だとは見なさず、しかしだからといって他の人もまた不完全なのであると断じることも無い。 かれは、他の人から見ればときに争いの相を示すように見えることがあるかも知れないが、かれ自身は決して争いを好んではいない。 なぜならば、かれは、自分を含めた人々(衆生)が自分ならざる何かに突き動かされた(無我なる,=人無我なる)存在であることをこころに知っているからである。

こころある人は、たとえ世俗にあっても、いとも聡明なる人であれ。 けだし、人は聡明さによってやすらぎに至る道を見い出すのであるからである。


[補足説明]
いわゆる結果オーライは、聡明なるこころの帰結であると知るべきである。