【こだわりを捨て去ること】

こだわりを捨て去ることは容易ではない。 なぜならば、こだわりを捨てようと思うその思い自体がこだわりに他ならないからである。

しかしながら、ここなる人が聡明で、憂い無く、明知があるならば、一切世間の何に触れようとも心を汚されることなく、心構え正しく世を遍歴するであろう。 かれは、次第次第にこだわりを離れつつある自分自身に(気づきではなくして)気づき、執著のもとのものの正体を(こころに)見極め、その虚実を自ら識り明らめて、こだわりではなくして敢えてこだわるに由しなしの<正しい道>をついに見いだすに至る。

そのような人は、そのようにして自ら見いだしたその道の終着点において、まさにこだわりを離れ得た自分自身にはっきりと気づき、さらにそのとき、(にわかには信じがたいことであろうけれども)こだわりを捨て去るのだというこだわりをも捨て去った自分自身を発見することになるのである。 そして、これこそ人が覚りの境地に至り行く道のいつわりなきありさまであり、それが誰にとってもつねにそのようであることが法(ダルマ)に他ならないのである。

こころある人は、こだわりを捨て去ることの大いなる利益(りやく)と摩訶可思議なる功徳とをこころに知って、自らを迷わせる疑惑を離れ、世間を平らかに見て、欲心を正しく制し導き、『今まさにこだわりを捨て去らん』とすべきである。