【苦のありかとその滅尽】

苦を感受した世人は、苦を捨てようとしてもがき、苦を以て苦を捨てようとさえする。 その一方で、苦を明らかに知った明知の人(賢者)は、苦から逃げ出すことなくその真実をこころに見極め、苦をそのままに放置することなく対峙し、苦を超克することを願い、ついに苦の完全なる解決をこころに見て、解脱し、期せずして苦を終滅するに至るのである。

ところで、人の根本の苦は、世人が苦と感受するようなそれぞれの苦の中に存在するのでは無く、実は世間における楽味(味著されるもの)の中にこそ潜んでいる。 しかし、世人は根本の苦を楽味として甘受しており、苦とは認知してはいないのである。 したがって、苦の真実が、世間におけるそれぞれの苦の如何なる演繹によっても、あるいは如何なる帰納によっても、見い出され得ないのは無理からぬことである。

さて、一切の苦の終滅は、苦が楽味(味著)の中にこそ潜んでいることを識り、衆生には苦が楽味として感受されているのであるという世のありさまを如実に見ることから始まる。 そのような苦を見た人が、楽味そのものから出離することを願う心を起こし、苦にまつわる楽味への欲心をおさめつくして、悪をとどめたとき、かれはついに苦の根本要因を消滅せしめるに至るであろう。

苦は、まさかのところにある。 しかし、まさかのところにある苦を明からめたとき、苦は終滅へと導かれる。 これが覚りのプロセスに他ならない。 こころある人は、苦のありかを突き止め、苦の根本要因たる無明を破って、一切の苦悩から解脱せよ。