【真理はつねに穏やかに語られる】

この世のことがらは、耳に心地よい、穏やかな、清らかな言葉で語ることが出来るものである。 そして、真理も耳に心地よい、穏やかな、清らかな言葉で語ることが出来るものである。 したがって、人が同じ内容のことを語ろうとするのであるならば、耳にさわるような荒々しく汚い言葉を口にするよりは、耳に心地よい、穏やかな、清らかな言葉を口にする方がすぐれている。

もし人が、たとい他の人の言葉を引用する形であれ耳にさわるような荒々しく汚い言葉を口にするならば、それを口にしたかれ自身がそのような人であると知られることになるであろう。 それは、道を汚す愚かな行為と言わざるを得ないものである。

聡明な人は、耳に心地よい、穏やかな、清らかな言葉を口にする人であれ。 人を安らぎに導くその言葉(=善知識)は、穏やかに語る人の眼前にまるで呼応するかのように出現するのであるからである。