【学識】

たとえ、それが自分にではなく他の人に向けて発せられたものであろうと、尊敬されるべき人が発する欠点のない、あるいは欠点のある言説を聞き及んで、それがあたかも自分に向けて語られたものであるかのように真摯に受け止め、その真意を(こころに)理解する人があるならば、かれこそ学識のある人なのであり、かれの学識はつねに増大することになる。

その一方で、尊敬されるべき人が人に向けて発した理法に適う、見事に説かれた、欠点のない言説を、その人自身が(直接に)聞いたにも関わらず、それがあたかも他人事であるかのように思い為し、受け止めず、あるいは曲解し、その真意を理解しない人があるならば、かれは学識において欠けるところがあるのであり、かれの学識は増大することがない。

学識において欠けるところがある人は、世間におけるさまざまなことについて多くの束縛を受け、自分ではそうとは知らずに多くの塵をまき散らす。 かれは、世間のしがらみと業(カルマ)とにこころが絡め取られて、束縛を脱するすべを見失い、好んで世間の束縛に浴し、種々のことがらに触れては歓喜の念を起こすのである。 そこには、悲哀と不吉なことがつきまとっており、心は何ものかに突き動かされて安まるときがなく、結局は苦悩に満ちた人生を送ることにならざるを得ない。

もし人が、一切の束縛を脱することを願い、苦悩を滅し尽くしたやすらぎの境地に至ることを欲するのであるならば、学識ゆたかな人々につきあうべきである。 学識ゆたかな人々は、学識を増大させようとこころから望む人を温かく迎えてくれるからである。 人の学識は、そのようにしてこそ増大し、互いにことわりを聞かせてはひとしくニルヴァーナに至ることになるのである。