【煩い・憂い・苦悩のもと】

人々(衆生)が苦悩する様は、まさしく次のとおりである。

○ ものごとを思考によって計らう人は、結局は思考によって煩い、憂い、苦悩する
○ ものごとを感情によって計らう人は、結局は感情によって煩い、憂い、苦悩する
○ ものごとを直観によって計らう人は、結局は直観によって煩い、憂い、苦悩する
○ ものごとを感覚によって計らう人は、結局は感覚によって煩い、憂い、苦悩する

すなわち、人々(衆生)は、自ら得意とするところのものによって煩い、憂い、苦悩するのである。 人々(衆生)は、欲望にもとづき、思惑を生じ、あれこれと奔走して、ついに執著を起こす。 そしてその執著するところのものによって煩い、憂い、苦悩しているのである。

それゆえに、もし人が、あらゆる煩いから解放されることを望み、あらゆる憂いを払拭することを願い、あらゆる苦悩を滅することを欲するのであるならば、執著するところのものを捨て去らねばならない。 それは、自ら得意とするところのものについてのこだわりを離れることに他ならない。

人が、そのようにしてあらゆる煩いから解放され、あらゆる憂いを払拭し、あらゆる苦悩を滅するに至ったならば、かれはそれ以前に抱いていた(未だととのえられざる)理性、感情、直観、感覚などの世間において種々の分別を生じるよすがたる根底のそれの虚実と真実について、その全貌を理解するに至る。

そしてかれは、それ以後においては、理性、感情、直観、感覚などの心理機能を敢えて抑制することなく、抑制する必要がなく、むしろ自在に働かせて、いわばととのえられた理性、ととのえられた感情、ととのえられた直観、ととのえられた感覚と呼ぶべき出世間の識見のよすがたる根本のそれによって世を平らかに見渡し、一切の分別を超え、為すべきことと為すべからざることとを知って行為において誤りなく、つねなるやすらぎに住するのである。

人々(衆生)は、苦悩に安住している存在に過ぎない。 しかしながら、人々(衆生)は、その苦悩から解脱することができるである。