【懺悔】

他の人の過失はいざ知らず、他ならぬ自分が為した行為の過ち(=根本的・根元的な勘違い)を知り、死ぬまで同じ過ちを犯さないと自らこころに誓うならば、かれは迷妄を離れて正しい道を見いだしたのである。 かれは、ついに悪をとどめて妄執を断ち切り、世の一切から解脱するに至るであろう。

この懺悔は、当の本人には意識されることなく為し遂げられるものである。 したがって、人があからさまな懺悔を為したとしても、それは懺悔とは言えないものである。 懺悔した気になっているのは本人だけであり、単なる思い込みに過ぎない。 それは、自分の歩み道も他の人の歩む道も、浄めることはないからである。

実のところ、懺悔に限らず世の真実の行為はすべからく自ら意識することなくして全うされ、事後にその真実のありようが知られるところとなるものである。 たといそれが人知れず為し遂げられたものであるとしても、多くの人に目撃されつつ為されたものであるとしても、浄められたというその事実だけが懺悔の確かな存在を示唆することになる。 耳聡き人は、その(事後の)静けさの中に確かな懺悔の声を聞き分けて、自らも懺悔を為し遂げるであろう。

それゆえに、明知の人は、いたずらにときを待つことなく今まさに懺悔して、自ら歩むその道を自分自身によって浄めかし。


[補足説明]
六祖慧能は、<懺悔>について次のように述べています。

○ 懺とは死ぬまで犯さぬこと、悔とはこれまでの過ちを知ることである。(六祖壇教)

[補足説明(2)]
懺悔し終わった人とは、すなわち<発心>した人に他ならない。