【非難と批判とを超えて】

それがあからさまなものであろうと、暗に示唆したものであろうと、ある人が他の人に向けて発した非難は、非難を呼ぶにとどまる。 そして、そのような非難の渦中において、人をして覚りの境地にいざなう法の句が現れ出ることはついに無い。

また、 それがあからさまなものであろうと、暗に示唆したものであろうと、ある人が他の人に向けて発した批判は、まとを得た批判、あるいはそれとは論旨を別とする批判を呼ぶにとどまる。 そして、それらの批判の渦中において、人をして覚りの境地にいざなう法の句が現れ出ることもついに無い。

しかしながら、人が真実苦(煩悩苦)を縁として他の人に向けて非難では無い非難を発し、あるいは人が煩悩にもとづいて他の人に対して批判では無い批判を行うとき、明確にそれに応えての事では無いが、しかし(人智を超えて)まさに的確にそれに応えるようにして発せられる言葉として、法の句(ダルマ)が世に現れ出ることはあるのである。 そのとき、当事者は、二人して互いに間違いなく善き友なのである。 それは、知る人から見れば、まさしく因縁にもとづいて生じたことなのであると諒解されることになる。

それゆえに、覚りの境地に至ることを目指す人は、ことに臨んで自分ならざる何かに突き動かされて非難や批判を行ってはならない。 しかしながら、自らの言動が悪しき非難・悪しき批判に堕することをおそれる余り、その心理的反動として目の前の大事に口をつぐんではならないのである。 それは、本末転倒のことであるからである。

こころある人は、このようにして非難と批判とを超克し、真実に到達せよ。