【すぐれた言葉(2)】

人が、他の人に対して何かを語るとき、同じ内容のことを語るのであるならば、耳にさわるような荒々しい汚い言葉を語るよりは、耳に心地よい、穏やかな、清らかな言葉を語る方がすぐれています。

たとい、相手が、怒りやすく恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある賤しい人であったとしても、あるいは相手がそのような人だと感じられたとしても、自らが語るその言葉が(相手の)耳に心地よい、穏やかな、清らかな言葉であるならば、その言葉を口にした本人だけに留まらず、それを耳にした相手にとっても、そしてそれを伝え聞いた人々にとっても、善き利益がもたらされるのは間違いないことであるからです。

そして、もしそのようなすぐれた言葉が、心正しき人から心正しき人に向けて語られたのであるならば、それは人をして覚りの境地に至らしめるという最上の利益(りやく)を人々に与える言葉を含んでいると期待され得るのです。

それゆえに、覚りの境地に至ることを目指す人は、この理と利益とを知って、せっかちで怒りにまかせた言葉、思わせぶりな言葉、(他の人からの)賞讃を望んで語られるような言葉などの、いわゆる心にもない言葉を語るという何ら益のないことをつつしんで、敢えて言葉を発するときには、それを語り終えてのち自分と相手の両方の心を二つともに安んじる(見事に語られた)すぐれた言葉を語るべきだと言えるのです。