【すぐれた言葉】

同じ内容のことを語るのであるならば、耳にさわるような荒々しい汚い言葉を語るよりは、耳に心地よい、穏やかな、清らかな言葉を語る方がすぐれている。

たとい、それが、怒りやすく恨みをいだき、邪悪にして、見せかけであざむき、誤った見解を奉じ、たくらみのある賤しい人が語った言葉であるとしても、もし語られた言葉が耳に心地よい、穏やかな、清らかな言葉であったとするならば、その言葉を口にした本人だけに留まらず、それを耳にし、あるいは伝え聞いた人々に少なくとも世間的な意味においての利益を、場合によっては出世間の意味においてのすぐれた利益さえも、もたらすのは間違いないことである。

そして、もしそのようなすぐれた言葉が、こころ正しき人から語られたのであるならば、それは人をして覚りの境地に至らしめるという最上の利益を人々に与える言葉を含んでいると期待され得るのである。

それゆえに、覚りの境地に至ることを目指す人は、せっかちで怒りにまかせた言葉、思わせぶりな言葉、(他の人からの)賞讃を望んで語られるような言葉などの、いわゆる心にもない言葉を語るという愚かなことをつつしんで、敢えて言葉を発するときには、それを語り終えてのち自分と相手の両方の心を二つともに安んじる(見事に語られた)すぐれた言葉をこそ語るべきである。

語ってのち、人の心を安んじてこそ、すぐれた言葉はまさしく正しく語られたのである。