【お話だけであるとしても】

たとえそれがお話だけ知っているというものであるとしても、真実を知る人には利益(りやく)がある。 それは、必ず真実の結果をもたらすからである。

その一方で、それが深い経験に裏付けられたものであったとしても、偏見に固執する者には苦難がある。 それは、かれを一時的には喜ばせるかも知れないが、結局はかれを迷わせ、煩いを生じ、苦悩をもたらすだけとなる。 真実を知らず、真実を聞いてもそれを理解しない者の労苦は多く果てしがない。

それゆえに、もし人が真実を耳にしたのであるならば、こころに留めるべきである。 たとえそれをすぐに理解できなくとも、それはついには精となって、言葉による行為の帰趨を超えた利益(=功徳)をかれにもたらすからである。