【物まね】

それが物まねであろうと、善き行為は必ず善き結果を生む。 仮に、人がそのことについて深く考えないで行ったのだとしても、それが自分にとっても、相手にとっても、目撃した人々にとっても、それを伝え聞いた人々にとっても、ひいてはそれを知ったすべての人々にとって好ましい、褒むべき、欠点のない、後悔のない行為であったとするならば、それは誰に恥じることもない善き行為であったのだと後づけで知られることになる。

その一方で、事前に何をどのように考えようとも、自ら為した行為の結果を直ちに、あるいはずっと後になって、本人が涙を流して後悔するのであるならば、その行為は善き行為ではなかったのである。 こころある人は、このように知らなければならぬ。

ところで、物まねは、人がなりふり構わずにいろいろとそのようにしているうちに、結局は善き行為だけを物まねするようになるのである。 なぜならば、同じ物まねをするならば、善いことを物まねをする方が気持ちがよく後味もよいことに誰しもが気づくからである。

この意味において、もろもろの如来は物まねの善き効能を認め、覚りの境地に至ることを目指す人が物まねすることについて大いに賛成するのである。