【性格】

おっちょこちょいな子供も、ちょっと鈍い子供も、利発な子供も、そしてまた他の如何なる性質の子供であろうと、子供達は成長し、結局は等しく大人になります。 それと同様に、せっかちな人も、鈍重な人も、理性的な人も、そしてまた他の如何なる性格の人であろうと、人は一大事因縁によって等しく覚りの境地に至るのです。 つまり、覚りの境地に至ることを目指す人が有する覚りの境地に至る以前の性格は、その人が覚りの境地に至ることについての速い遅い、可否などとは関係ありません。

なぜならば、ある人が覚りの境地に(現世において)至り得るかどうかを決定づけるのは、その人が聡明であること、(法(ダルマ)に対する)信において堅固であること、覚りの境地に至ることを(正しく)熱望すること、徳行に篤いこと、精励することなどであり、これらのことは性格とは無関係なことであるからです。

したがって、ある人がまさしく善知識と出会い、善知識が発する法の句を聞き、(それを正しく)理解し、かつ一大事因縁を生じるならば、その人が覚りの境地に至る以前に如何なる性格の人であったとしても、例外なく覚りの境地に至るのです。 そして、それが例外なく起きるというそのことが、法(ダルマ)の本質なのだと言えるのです。


[補足説明]
性格だけでなく、人格、能力、身体機能、性差、年齢、経験なども、覚りの境地に至ることとの直接の関係は認められません。