【言葉を用いる】

人は、言葉を正しく用いることによって、覚りの境地に近づき、至り、住するのである。 ここなる人が、そのように言葉を用いたのであるならば、かれ自身そのことを認知していようが認知していまいが、かれはまさしく言葉を正しく使いこなしていると認められる。

その一方で、言葉を弄び、言葉によって他の人の心を惑わし、動揺させ、悩ませる人があるならば、かれ自身そのことを認知していようが認知していまいが、かれは自らが犯したその行為によって、かれ自身知らぬ間に、思いもよらぬ形で、その悪しき果報を自らの身に受けることになるであろう。

人は、言葉を使うという特筆すべき行為によって獣ではないと知られる。 しかしながら、たとえその見かけが人間の姿をしていたとしても、言葉を弄び、言葉に酔いしれ、結局は自ら発した言葉に自分自身が翻弄され、迷妄と妄執とをさまざまに生じて苦境に陥ってしまう者があるならば、かれは人であってひとでなく、獣のごとき愚者なのである。 かれは、誰あろう自らによって道を踏み外しているのであると知られることになる。

それゆえに、人は言葉にまつわる楽味と過患とを知って、よく気をつけて、慎しんで言葉を用いるべきである。 人は、自ら口にした言葉によって後悔することがあってはならない。 言葉によって煩い、苦悩するのは世人の常であるが、人はその同じ言葉によって煩いを離れ、苦悩を脱することができるのである。

こころある人は、ことわりをこころに知って、言葉を正しく用いる<功徳>をその身に体現せよ。 そのようにして、人の身に確かな<功徳>が現れたとき、まさしく言葉は正しく用いられたのである。