【諸仏の誓願】

法華経-方便品第二では、諸仏の誓願について次のように記しています。

*** 和訳経典から引用

{前を略}

舎利弗よ、正に知れ。 私は昔、誓願を立て、一切の生ける者達を、私と等しく、異なるところがない様にしようとした。 私の昔の願いは、今既に満足し、一切の生ける者達を教化して、皆、仏の道に入らしめた。 もし私が生ける者達に遇えば、悉く教えるのに仏道をもってする。 無智な者は錯乱し、迷い惑うて教えを受けない。 私はこれらの生ける者達が、未だかつて善の本を修めた事がないのを知っている。 堅く五欲に執着して、無智と生存意欲の故に悩みを生じ、諸々の欲の因縁によって三種の悪しき世界に堕ち六種の世界を輪廻して、つぶさに諸々の苦の毒を受け、受胎する微小な形は、世を重ねる毎に増長し、徳うすく福少ない人間として多くの苦しみに迫られ、邪見の深い林に入り、あるとか、ないとか言いあらそい、この諸々の見解に頼って六十二種も備えている。 深く虚妄の教えに執着して、堅く受持して捨てず、我執がふかく、自ら誇り、偽善であり、心は不実である。 千万億劫においても仏の名を聞こうとしない。また正しい教えを聞かず、この様な人は救いようがない。 この故に、舎利弗よ、私は方便を設けて、諸々の苦しみをなくす道を説き、永遠の平安を示す。 私は永遠の平安を説くが、これは真の悟りではない。 存在するものは、本来、常に自ら寂滅する性質のものだからである。 仏の子は道を修行し終れば、来世に仏となるであろう。 私には方便力があって、三つの立場の教えを教え示した。 しかし一切の諸々の世尊は皆、一なる立場の道を説かれる。 今、この諸々の大衆は皆、正に疑惑を除け。諸仏の言葉は異なるところがなく、ただ一つであって第二の立場はない。 過去無数劫に悟りをひらいた仏は無量であり、百千万億種であって数える事は出来ない。 これらの諸々の世尊も、種々の因縁と喩えと、無数の方便力によって存在の様相を説かれた。 この諸々の世尊らも皆、一なる立場の教えを説いて無量の生ける者達を教化して仏の道に入らしめられた。 また、諸々の大聖主は、一切の世間の、天人・人間・様々な生類の心に深く欲している事を知って、さらに、異なった方便によって第一義(悟りの世界)を説き明かされた。

{中略}

もし教えを聞く者があれば、一人として仏にならぬ者はないであろう。 諸仏の立てた誓願は、自分が実行した仏道を、普く生ける者達に、同じ様にこの道を得させたいというのである。

{後略}

*** 引用おわり