【目の前の人】

未だ覚りの境地に至っていない人(=衆生)であっても、目の前の人を見たならば、その人を次のように見るべきである。

○ もし、目の前のこの人がこの世に居なかったとするならば、私は私自身が本当にやりたいことができなくなってしまうのだ

○ もし、目の前のこの人がこの世に居なかったとするならば、私は私自身が本当に望むことが達成できなくなってしまうのだ

そして、人が人間関係において正しく行為すること(=後悔しない行為を為すこと)を希望するのであるならば、一瞬一瞬に気をつけて、次のように人と関わらなければならない。

■ (自分自身を含めた)如何なる人に対しても、誠実に接する
■ (自分自身を含めた)如何なる人に対しても、ものおしみしないで接する
■ 目の前で不本意な何が起こっても、(正しく)堪え忍ぶ
■ 目の前で不本意な何が起こっても、自らのこころに問うて(正しく)自制する

人が、他の人とこのように関わり、行為するならば、後悔することはあり得ない。 しかしながら、どうしてもこのように行為することができない自分自身に気づいた人は、自分に向けて他の人から為されるあらゆる忠告に真摯に耳を傾け、以て省察の糧とすべきである。 そのようにするならば、たとえ今現在それが出来なくとも、ついには上記の如くに人と関わることを得、上記の如くに行為することを得て、ついにはあらゆることがらついて後悔の念を生じることのない人になれるであろう。 なぜならば、相手が誰であれ、人が人と関わるということはこのように関わる以外にはあり得ないことであるからである。 これこそが、人と人との関わりの究極のすがたに他ならないからである。

ここなる人が、聡明であるならば、かれ(彼女)は人間関係の真実をついに見極めて、縁の何たるかについて理解することになるであろう。 それを為し遂げたとき、かれはまさしく<人無我>を理解したのである。

こころある人は、目の前の人から決して目をそらすことなく、まして自分自身の気持ちから目をそらすことなく、人と人とのありようを見極めて、人間関係の真実を知る人となれ。