【自らに依拠するとは何か】

真実を知ろうとして自らのこころに問うことが、自らに依拠することに他ならない。それは、如来に問うことよりもすぐれたことである。

ところで、もし人が自らのこころに問うことにこだわったとしたらそれは執著であって覚りの障害になるのではないか?と考える人があるかも知れない。しかし それは杞憂である。なんとなれば、自らに依拠して行為することは、こだわり(=執著)を離れることに役立つものであるからである。

もろもろの如来は皆、真実を知ることに執着しつつ、しかし執著を起こすこと無く、ついに一切の執著を超えたのである。