【サンガ(僧伽)】

どの分野であるにせよ、その道を等しく目指す人々が集って互いに語らうときには、それぞれの人がその人相応の確かな利益(りやく)を得ることが期待され得る。 そして、そのようにして得られる利益の最大のものは、その道を歩き続けることについての動機づけ(モチベーション)である。

覚りの境地に至る道においても、それを目指す人々が等しく集まって真摯に語らうとき、それぞれの人がその人相応の利益(りやく)を得ることになる。 そして、そのようにして得られる利益の最大のものは「発心」である。 なんとなれば、それを得た人は覚りの境地に至ることが確約されたという意味でこの世における最も勝れた利益(=功徳)を得たのだと言ってよいからである。

ところで、ここにそのような語らいの場を(自ら起こした正しい決心にもとづいて)敢えて人々に提供し、運営し、管理する人があるならば、かれにはその集いに直接参加する以上の量り知れない大いなる功徳がもたらされることになるであろう。 また、ここにまさにそのようにして世に出現した浄き語らいの場が確かに認められたならば、その語らいの場に加わって理法について語らうそれぞれの人にも、その場を提供し、運営し、管理する人と同等の功徳がもたらされるのは間違いないことである。

そのような浄らかな語らいの場が世に現われたとき、それがどのような形体や形式を伴ったものであるにせよ、それをひとしくサンガ(僧伽)と名づけるのである。

サンガ(僧伽)には、次の特徴が現れる。

 ○ 争いが起きない
 ○ 非難も賞讃も起きない
 ○ 語らいは、互いを尊敬しつつ終わる
 ○ 互いに何かをけしかけることも、けしかけられることもない
 ○ 互いに影響を与えることも、互いに影響を受けることもない
 ○ 互いに親しみをもって接するが、親しくはならず、また疎遠になることもない
 ○ 和合に楽しみがあり、独り居にさらなる楽しみがある
 ○ <聖なる沈黙>が時として現れ、期せずしてその沈黙が破られたとき法(ダルマ)が顕わになる


[補足説明]
サンガの由来について、法華経-方便品第二では僧団という言葉を用いて次のように記しています。

── 舎利弗よ、正に知れ。 私は聖なる獅子の深遠、清浄、微妙な音声を聞いて、喜んで南無仏と称えた。 また、この様に思った。 「私は濁った悪しき世に出たのであるから、諸仏の説かれた通りに随順して私もまた行なおう」と。 こう考えて私は、バーラーナシーに赴いた。 生滅変化を超えた、存在の寂静の相は言葉で説明の出来ないものであるから、方便力によって、五人の比丘に説いた。 これを転法輪と名づける。 こうして永遠の平安とか、尊敬さるべき人とか、教えとか、僧団とかいう言葉があらわれた。 ──