【よく気をつけている人】

よく気をつけている人は、心が何かに縛られない。 かれ(彼女)は、自分の心の動きをただ見つめたり、あるいはまた他の人の心を知ろうとしてあれこれと心を働かせたりしない。 それは、実は心が縛られている証左なのであると知っているからである。 かれ(彼女)は、世の一切の対象への執著から心を解き放ち、しかしそれゆえに人と世の真実(=すがた)を識ることになる。 かれ(彼女)は、悪魔とその軍勢とをうち破る勝者となるであろう。

人は、心によってついに心を終滅せしめて、苦の根源たる心の覆い(=名称と形態(nama-rupa))から解脱する。 これが、世において最も不可思議なことである。 しかし、(それをこころから熱望する)誰にとってもそれがつねにそうであることが法(ダルマ)に他ならない。

円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)を求める人は、他ならぬ己が心を御して、我見によって生じた固執の偏見から離れ、自他を迷わせ苦しめる不当な思惟の根本をすべて制止せよ。 それを為し遂げたとき、「坐る」とか「動く」とか「(特定の何かを)忘れないでいよう」とか「いつも気をつけている」とか言う迷妄の所産から離れ、自ら見い出した真実の修行に勤しむことができるからである。 よく気をつけて道を歩む人は、何ものにもけしかけられず、また他の人をけしかけない。 ただ、自らの道の歩みを浄めて、ついに究極の境地に到達するのである。