【死を超える】

人(=衆生)が死を怖がるのは、かれがこの世において為すべきことをまだ為し終えていないからである。 すなわち、かれにとって、この世においてやり残したことがあるという(隠せぬ)思いが死の恐怖を生むのである。 かれは、世間においてまことしやかに語られる「死にまつわるさまざまな言説」を聞き及び、自らも知るにまかせて語るであろうが、妄執を離れていないので、つねに死の恐怖に縛されているのである。

一方、覚りの境地に至った覚者は、死にまつわる恐怖から完全に解放されている。 なぜならば、覚者には、「この世において為すべきことはすべて為し終えた」という正しい智と正しい見解とが備わり、残りの人生においてこれ以上特別に為すべきことは何も無いという(正しい)揺るぎなき確信があるからである。 覚者は、残りの人生において(世間的に)特別に努力すべき事が何も無く、また現在の境地の他に到達すべき別の境地など存在しないことを自ら知っているのである。 覚者は、自分がいつ死ぬとしても、現在と変わらぬ円かな安穏のままにこの(最後の)人生を終えることを知っているのである。 覚者は、このように老死を超えているのである。

明知の人は、無為に死に怯えることの愚を知って、死ぬよりも前に妄執を離れて老死を超え、過去にこだわることなく、現在においてもくよくよと思いめぐらすことがない、未来に関してもとくに思いわずらうことがない人となるべきである。