【為すべきことは為し終えた】

人は、解脱して覚りの境地に至ったとき『この世で為すべきことは為し終えた』という智を生じる。 そして、かれは死を超越するのである。

人は、大人になったときもう子供時代に為すべきことはすべて為し終えたという理解を生じる。 つまり、すでに大人になった人は、自分の中で子供じみた思いがすっかり終滅しているのを見て、もう子供時代に為すべきことは為し終えたのだと知るのである。 もちろん、かれは世に存するすべての種類の子供じみた遊びを経験した訳では無いし、たとえばプラモデル作りのような子供らしい工作をすべて終えた訳でもないが、それにも関わらずかれはもう子供時代に為すべきことはすべて為し終えたという確信に至るのである。

それと同じく、人は覚りの境地に至ったとき『この世で為すべきことは為し終えた』と知る。 かれは、世間を見渡すが、あらゆることがらについてすでにすべてを為し終えていて、もう世において為すべきことはもう何も無いのであると知るのである。


[補足説明]
『為すべきことを為し終えた』と知ったき、もう後戻りはできないことをも同時に知るに至る。 それゆえに、これを<不退転の境地>とも名づけるのである。