【大事(一大事)】

<大事(一大事)>とは、そのことによってすべてが集約され、すべてが明らかになる局面のことです。

「何は無くてもこれだけは...」というその「それ」が大事なことであると知られます。 そして、大事なことが何であるかをはっきりと自覚した人は、僅かなもので多くのこと知り、僅かなもので多くのことを得て、僅かなもので種々さまざまな局面に正しく対応できるようになるのです。

ところで、大事な局面とはいざというときのことです。 すなわち、いざというときに自分の何たるかが分かり、いざというときに人の何たるかが分かるからです。 たとい普段は互いに言い争い、反目し、嫌っていたとしても、ことに臨んで、

 ○ いざというときに、乏しき中から少しでも多くを与えようとする人こそが富める人であると知られる

 ○ いざというときに、謂われのない非難を甘んじて受けて耐え難きを堪え忍ぶ人こそが賢い人であると知られる

 ○ いざというときに、人知れず事を為してしかも自分を誇らない人こそが誠の人であると知られる

 ○ いざというときに、思いつきでなく熟慮し、言いたいことを軽々しく言わずに言葉少なく真実を語り、敢えて出しゃばらない人こそが心強い人であると知られる

 ● いざというときにやさしい人こそが、<真実にやさしい人>であると知られる

のであるからです。

このように、いざというときにすべてが決まり、いざというときにすべてが明らかになるのです。

さて、およそひととして生まれた人が、一生の中で為すべき最も大事なことを<一大事>と名づけます。 なぜならば、もし人が<一大事>を得るならば一切が明らかとなり、一切の苦悩から解放されると知られるからです。 もし人生に生きる目的というべきそれを(言語表現として)認めるならば、人は自分の一生の中で遭遇するであろう多くの大事の中にあって、唯この一つのことを知るために生きているのだといっても過言ではないでしょう。 ところで、<一大事>を発見するのは自分自身ですが、それを「それ」だと教えてくれるのは善知識(=善き言葉,=善き行為)と名づけられるその人です。

それゆえに、明知の人は、よく気をつけて世間を遍歴する人であれかし。


[追記]
他の人が、あなたのことを大事に思ってくれているかどうかは最後まで分からないことであり、また実のところ、それをどうこうできるものでもないでしょう。 しかしながら、あなたが他の人のことを大事に思うことは、それはつねにできることであると知られ、少なくともそのことについて突き詰めることは誰しもが出来ることであると言ってよいでしょう。 決してけしかけるわけではありませんが、ここに人があって、もしこのことを知ってそれが本当に大事なことだと心から思うならば、かれは実に為すべきことを自ら見いだしたのであり、そのひととしての思いのあり得べき帰趨たる(ひとつの)<一大事>について深く理解したのであると言っても過言ではないでしょう。