【徳目】

およそ世の中には、称讃さるべき4つの徳目がある。 その4つとは、「誠実」「堪え忍び」「施与」「自制」である。

誠実: 自らは世俗的に生きていて、世間の生活においては何事においても情緒が常に安定している人。 好意をもって人と接する人であり、見 かけの優しさに長けている人であるが、他の人が心の奥に秘めている悲しみを理解することが不得手で我が身可愛さに他の人に憎悪を抱きやすい。 このような 人に欠落している徳目が誠実である。

堪え忍び: 自らは友好的に生きていて、世間の仕組みや成り立ちに詳しく目先が利いて、予め知り得た事柄に対しては何事においても冷静に対 応できる人。 余裕をもって人と接する人であり、見かけの頼もしさに長けている人であるが、他の人が心の奥に秘めている寂しさを理解することが不得手で自 らの考えに愛着を抱きやすい。 このような人に欠落している徳目が堪え忍びである。

施与: 自らは享楽的に生きていて、世間の出来事に敏感で事件とその顛末に詳しく弁が冴えて、深く理解した事柄に対しては何事においても平 静に対応できる人。 孤高に生きて疑惑を抱えつつ人と接する人であり、見かけの面白さに長けている人であるが、他の人が心の奥に秘めている空しさを理解す ることが不得手で他人を見下しやすい。 このような人に欠落している徳目が施与である。

自制: 自らは運命的に生きていて、世間の流れに敏感で将来の展望にすぐれていて、自分の気持ちと合致している限りにおいては何事において も嬉々として対応できる人。 楽しく人と接する人であり、見かけの美しさに長けている人であるが、他の人が心の奥に秘めている怯えを理解するのが不得手で 自らの心を高ぶらせやすい。 このような人に欠落している徳目が自制である。


総じて、徳とは人が心の奥深くにもっているところの、覚りの境地に向かう素直な心の発露を喚起する基本的心理要素のことである。 それは、通常は抑圧され ていて意識化されることが無いものであるが、縁に応じて不意に意識化されてしまう。 すなわち、自らの意に反して起こる不快感や嫌悪感などがそれである。  つまり、未だ覚りの境地に至っていない人々(=衆生)においては、徳目はいわば顛倒した心理機構として作用している。 それゆえに、人々(衆生)はそう とは知らずに徳をおろそかにしてしまう愚を犯すことになる。

徳行を為すことは難しい。 しかし、徳行に篤いことは人に確かな安楽をもたらす利益(りやく)があるのは確かである。


[補足説明]
ここに徳目を4つ挙げるのは、人々(衆生)の性格が大きく4つのタイプ(類型)に分類されるからである。 すなわち、「思考型」「感情型」「感覚型」「直 観型」の4つの性格タイプである。 このことについて学問的な興味がある人は、ユング心理学の「タイプ論」を参照するとよいであろう。

[補足説明(2)]
ある人にとって、4つのうちのどの徳目が欠落しているかについて直接に、あるいは間接にずばり指摘してくれる人がいる。 かれこそが<善知識>に他ならな い。 もし人が、善知識が発するその言葉を聞いて、自分が人生を密度としては半分も生きていないということに気づくならば、かれ(彼女)は今何を為すべき かについて思い至るに違いない。