【のように】

人が解脱する様子は、次のように譬えられるでしょう。


[脱皮のように]
蛇が、古い皮を脱ぎ捨てて脱皮するように解脱します。 それまで、自分自身だと思っていた古い皮をそっくりそのまま脱ぎ捨てて、解脱するのです。 古い皮は、名称と形態(nama-rupa)の象徴です。 なお、傍目には苦労して脱皮してもまた同じものが現れただけに過ぎないように見えます。 しかし、この脱皮よってのみ蛇は成長することができるということを知らなければなりません。 つまり、脱皮はただ表面の汚れた皮膚を除き去るだけの行為に見えて、実はそれこそが蛇が成長するための必要不可欠な条件であるという(分かり難き)重要な意味を持つ行為であるからです。 人は、そのように解脱するのです。 解脱しても、外見はさして変わりませんが、その内面では大いなる変容を遂げているのです。

[割って取り出すように]
卵を割って、中身を取り出すように解脱します。 それまで、中身を覆っていた殻と外殻膜と内殻膜とを割り破って中身を取り出すように解脱するのです。 殻は意識(第六識:自我)の象徴であり、外殻膜と内殻膜の二つの膜はそれぞれ末那識と阿頼耶識(名称と形態(nama-rupa))の象徴です。 卵を割って中身が露わになったとき、外見からは想像もつかないものが中に入っていたのだと分かります。 固い殻とは違い、どろどろの黄身と白身が入っていたのですから。 同様に、人が解脱したとき、その人の外見からは想像もできないものが顕わになるのです。


[補足説明]
解脱とは、それまで自分自身だと思い込んでいた表面的なものをすっかり捨て去って、本当の中身が顕わになることです。 すなわち、その機が熟して余分になったものを当然の如く捨て去ることが解脱の様子です。 ただし、ここで注意して欲しいことは、本当の中身が顕わになるとは本当の自分が顕れるということではありません。 分かりにくいとは思いますが、それまで想像もしていなかった無我なるものが顕わになるということなのです。

[補足説明(2)]
解脱は、元々無かったものが急に作られたり、元々あったものの姿や構造を組み替えて新しくすることではありません。 ですから、解脱の譬えとしては、

 ◇ エネルギーが蓄えられる
 ◇ 青虫がさなぎになって最後には蝶へと変態(メタモルフォーゼ)する
 ◇ 卵が孵って、雛が生まれる

などはふさわしくありません。