【ニルヴァーナの境地について譬えるならば】

ニルヴァーナの境地を言葉で説明することは、本来的に困難です。 それは、味や旨みを超えた最高の味わいについて、それを言葉で説明するような困難です。


[最高の味]
おとうと: ねえ兄貴。 魚は究極、何が最高に旨いの?
兄貴:  魚ぁ。 そりゃあ おめえ 何たって「旬」が最高よ!
おとうと: へ〜ぇ? 「シュン」っていう魚が最高?
兄貴:  ちがうよ 馬鹿野郎 「旬」だよ「旬」 「旬」を知らないのか?
おとうと: 「しゅん」?
兄貴:  ちがうよ 「旬」だよ「旬」
おとうと: 「シュン」?
兄貴:  そうか。 おめえ、「旬」の意味が分かってねェな。
おとうと: どこでとれるの? 「シュン」?
兄貴:  ちがうよ。 「旬」てえのはなぁ。 とれるんじゃあねぇ。 ある季節のことだよ。
おとうと: 「春」のこと?
兄貴:  ちがうよ。 そうじゃねぇよ。 魚ってぇやつは、ある時期に一番旨くなるのさ。
おとうと: たとえば?
兄貴:  たとえばだな。 秋刀魚は秋だな。
おとうと: 10月何日頃?
兄貴:  そうじゃねぇよ。 ひにち じゃあないんだよ。 時期。 時期。
おとうと: もうじき?
兄貴:  ちがうよ。 "その時期"だよ。 "その時期"になると旨ぇんだよ。
おとうと: どの時期?
兄貴:  つまりなぁ。 ある時期になると旨ぇんだよ。
おとうと: ある時期?? どの時期?? その時期??  ?????...
兄貴:  そうじゃなくってなぁ。 その時期になると、秋刀魚がものすごく旨くなることが分かるんだよ。
おとうと: どうやって?
兄貴:  食べれば分かるんだよ。
おとうと: 誰でも? 僕でも?
兄貴:  ああ。 多分な。
おとうと: 多分?
兄貴:  いやぁ。 きっとな。
おとうと: 本当に僕でも分かるの?
兄貴:  ああ。 きっと分かるよ。
おとうと: じゃあ。 その時期になったら教えてっ。
兄貴:  よっしゃあ。 その時期が来たらきっと教えてあげるよ。 (本当は自力で分かるんだがなぁ)
おとうと: きっとだよ。
兄貴:  ああ。 きっとさ。
おとうと: 楽しみだな〜あ。
兄貴:  ああ。 旨ぇぞォ。 その時期の秋刀魚は。 
おとうと: う〜ん。 早くその時期が来ないかなぁ。
兄貴:  もうじきだよ。
おとうと: やっぱり もうじき?
兄貴:  いや..。 とにかく、その時期が来たら教えてやるよ。
おとうと: うん。 分かった。 待ってる。 教えてよォ。 兄貴。 きっとだよ。
兄貴:  きっとさ....。


[ニルヴァーナの味わいも]
旬は、どの種類の魚にもあるものですから、魚自体を説明しても始まりません。 すなわち、旬を合理的,体系的に説明することは本来的に困難です。 ニルヴァーナの味わいを説明することも、同様です。 それを「慈悲」や「平等」や「無我」や「縁起」..などという言葉で説明しようと試みることはできますが、それだけで相手に真に理解してもらうことはできないことでしょう。 ニルヴァーナの味わいも、旬の味わいのようにその時期になれば分かるものであるとしか言えないものです(一大事因縁)。 その時期がいつであるのかを予言することはできませんが、最終的には皆さんもその境地を味わうことになるでしょう。 そのためには、旬の味(最高の味わい)を求める心のように、素朴で純真な心があれば良いのです。 如何なる誰であっても、法(ダルマ)を聞こうと(正しく)熱望するならば、必ずやニルヴァーナの境地に至ることは間違いないことであるからです。


[おまけ(その後)]
おとうと: 兄貴っ。 兄貴っ。 兄貴っ。 旬の秋刀魚って めちゃめちゃ旨いね。
兄貴:  そりゃあ おめえ 何たって「旬」だからな。 しかもおめえ 今年初めて秋刀魚を食ったんだろ。
おとうと: うん。 ところで、兄貴。 これ高かったんだろ?
兄貴:  いやぁ。 安いよ。 秋刀魚だから。
おとうと: ふ〜ん。 「旬」って安いんだね。
兄貴:  違うぞォ。 安いけどめちゃ高いんだぜ。
おとうと: どうして?
兄貴:  約束だからな。 この一週間、俺は魚屋に通いづめだったんだぞ。 だから、高ぇんだよ。
おとうと: いくらぁ?
兄貴:  たしか 一匹100円だったな。
おとうと: 安いじゃん。
兄貴:  違うんだよ。 このツケはおまえに後で払ってもらうから高いんだよ!
おとうと: なにがぁ? どうやって払うのぉ?
兄貴:  ....
おとうと: 兄貴。 ツケってなにさぁ?
兄貴:  .. おまえが大きくなったら分かるよ。
おとうと: なにがぁ?
兄貴:  .. きっと 分かるさ。
おとうと: なにがぁ? 兄貴? なにが分かるのさぁ?
兄貴:  .... もう、きっと分かるようになったのさ それに、おまえは俺のおとうとだからな。