【円かなやすらぎ(=ニルヴァーナ)】

この世に生きる誰しもが、死ぬよりも以前に到達すべき安穏の境地。 すなわち、ニルヴァーナの境地(覚りの境地)は、略して説明すれば次のような境地である。

敢えて仏教用語を用いて説明すれば、図らずも慧能が六祖壇教の中で述べているように、三毒が三学に転換した境地と言える。 すなわち、次のような境地である。

 貪が消滅して戒に転換した境地
 瞋が消滅して定に転換した境地
 痴が消滅して慧に転換した境地

また、他の用語で表現するならば、次のように言うこともできるであろう。

 情欲が消滅して具足戒(無相戒)に転換した境地
 嫌悪が消滅して不動心に転換した境地
 迷妄が消滅して清浄心に転換した境地

さらに平易な表現では、次のように言ってよい。

 まったく、きょろきょろしない境地
 まったく、いらいらしない境地
 まったく、じたばたしない境地

さて、ニルヴァーナの境地では次のようなことが体現される。

● いずこからか不意にやって来る衝撃音や怒声、罵声にまったく驚かない(どきっとしない)
● 突然、目の前に飛び出た衝撃的映像にまったく驚かされない(ひやっとしない)
● 顔が触れ合うほどの至近距離に、他人が近づいてきても嫌でない(ぞわっとしない)
● 全世界において嫌いな人が一人もいないと確信する(親族や我が子のように見える)
● 他の人の行為に、影響を受けない(おののかない,じれない,せかされない)
● 他の人の行動に、いかなる悪意をも見出せない(悪意が何かさえ思い出せない)
● 他の人の表情に、嫌な顔を見出せない(誰の顔をも目をそらさずに見つめることができる)
● 他の人の表情に、真実の笑顔を見出せない(目が笑っていないと感じる)
● 他の人のくすぐりなどに、煩わされない(自分でくすぐっているのと同じ)
● 争いに巻き込まれることが無くなり、また他の人々の争いを見かけることも無くなる
● (大好きだった人も)お酒を一滴たりとも飲めなくなる(気取りではなく、本当に飲めない)
● あらゆる味わいが余韻を残さず、同時に嫌な味も無い(味や旨みは正常に分かります)
● 時間の遅延、停滞が気にならない(例えば、予想外の渋滞に巻き込まれても平気)
● 過去に為したことについて、気にやむことが一切無くなる(くよくよしない)
● 未来のことについてとくに思い悩むことがない(あくせくしない)
● 身体の中心軸が通り、重心が安定し、つまづかない(動作が基本的に対称的になる)
● ため息をつくことが出来ない(演技さえ出来ない)
● (時を経て)声が響く声になる
● (時を経て)瞳が透き通ってくる
● すべてがそれしかないぴったりのタイミングで起こる
● [諸天および神々が何としてでも仏を守護する]

つまり、ニルヴァーナの境地とは(悪しき、余計な、煩いを生じるような)識別作用が滅尽し、完全にくつろいだ、ときほごされた、怒ることのない、一切と争 わない境地である。  したがって、いかなる手段を以てしても、ニルヴァーナの境地に至った人を驚かせたり、動揺させたり、怒らせたり、争ったりすること はできない。

また、ニルヴァーナの境地は、一旦そこに至ればその後は一瞬たりとも途切れることなくその人を安穏たらしめる境地であり、ニルヴァーナを知る人は一瞬たり ともニルヴァーナ以外の境地に堕して住することはない。 つまり、ニルヴァーナの境地を維持するために継続して行うべき世間的な努力は何も必要無い。 ニ ルヴァーナの境地は、人類が作為せざる一大事因縁によってのみ顕現する出世間の境地であり、それゆえに一旦そこに至ればあらゆる世俗のことがらから正しく 離れることができる境地であると知られるのである。