【法華経では】

法華経(妙法蓮華経)では、方便品第二において一大事因縁について次のように述べています。


*** 和訳経典から引用

{前を略}

 仏は舎利弗に告げられた。この様な微妙な教えは、諸仏.如来がこれを説くこと、優曇華(ウドゥンバラ)の花が三千年に一度花ひらく様なものである。舎利 弗よ、仏の説く処を信ぜよ。仏の言葉に偽りはないからである。舎利弗よ、諸々の仏の自由自在な説法の意味は、理解する事が難しい。それは何故かというと、 私は無数の方便と、様々な因縁と喩えと言葉とをもって教えを説くのであるが、この教えは、思量し分別したのでは、理解する事は出来ないのであって、ただ仏 だけがよくこれを知っているにすぎないからである。それはまた何故かというと、
諸々の仏陀.世尊は、ただ一大事因縁によってのみ出現されるからである。それでは舎利弗よ、諸々の仏陀.世尊はただ一大事因縁によってのみ世に出現されるというが、それはどういうことなのか。諸 々の仏陀.世尊は、生ける者達に仏の知見を開かせ、清浄なものとする為にこの世に出現されるのである。生ける者達に仏の知見を示そうとしてこの世に出現さ れるのである。生ける者達に仏の知見を悟らせようとしてこの世に出現されるのである。生ける者達を仏の知見の道に入らせようとしてこの世に出現されるので ある。舎利弗よ、諸仏がただ一大事因縁によってのみこの世に出現されるという事は、こういうことなのである。

 
仏はさらに舎利弗に言われた。諸々の仏陀、如来は、ただ菩薩だけを教化される。すべての行為は常にただ一つのことのためである。ただ仏の知見を生ける者達に示し悟らせるためである。舎 利弗よ、如来はただ、一なる仏の立場(一仏乗)だけで、生ける者達に教えを説かれる。第二の立場、第三の立場などはないのだ。舎利弗よ、一切十方の諸仏の 教えもまたこのようである。舎利弗よ、過去の諸仏も、無量無数の方便と種々の因縁と喩えと言葉によって、生ける者達の為に教えを説かれている。これらの教 えも皆、唯一の仏の立場によって説かれたのである。この諸々の生ける者達は、諸々の仏から教えを聞いて、結局、皆、一切種智を得た。舎利弗よ、未来にこの 世に出現されるであろう諸仏もまた、無量無数の方便と種々の因縁と喩えと言葉によって、生ける者達の為に教えを説かれるであろう。これらの教えも皆、唯一 の仏の立場によって説かれるであろう。この諸々の生ける者達も、諸々の仏から教えを聞いて、結局、皆、一切種智を得るであろう。舎利弗よ、この諸々の仏は、ただ菩薩だけを教化される。仏の知見を生ける者達に示し、仏の知見によって生ける者達を悟らせようとし、生ける者達を仏の知見の道に入れようと思うからである。

{後略}

*** 引用おわり


[補足説明]
上記に言う諸仏世尊とは、この世に現れ出た覚れる人(如来)のことではなく、善知識の言葉として世に現れ出た「法の句」を指しています。すなわち、善知識が「法の句」を発した瞬間は善知識は無我(諸仏に憑かれた状態)であり、一瞬のブッダ(化身仏)となっているのです。